新次元の「立体」
本サイトではこれまで、そのメニュー内の「理論人間生命学」および「四分の三プロジェクト」の両タイトル下で述べてきた議論を土台に、その理論体系の「ひながた」が提示できそうな段階に至りました。
そこでそれを、これまでの描写手法である3軸座標を使い、かつ発展させて表したものが下図です。
私たちの日常生活にも親しい3軸座標といえば、縦、横、高さ、あるいは数学では x, y, z といった、「立体」を表す3軸座標で、それぞれの軸には、数値による目盛り、すなわち変数をもっています。
ところが、上の3軸座標のそれぞれは、その 縦、横、高さに当たるものは、「物性」(うす緑の平面上に表示)、「知性」( 空色の平面上に表示 )、「局所性」 (ピンクの平面上に表示) の三種です。そしてその「ひながた」と呼ぶものは、これら3要素を3つの変数とみなし、それらからなる3次元“場”(後述)としてモデル化したものです。そして、それを《「理論化」3次元モデル》と呼ぶこととします。
こうした「物性、知性、局所性」の3要素は、しかし、「縦、横、高さ」のように、数字で表示できる「変数」ではありません。というのは、後述のように、それぞれの要素には、込み入った性質が含まれていて、単に数字にするには無理があります。しかし、それらがなんらかの変化する「量」とか「程度」をもったものであることは確かです。
そうしたことから本モデルでは、まず、「物性」にともなうその「量/程度」について、それを移動と関連付けて、「定住性」から「移動性」へと変化するものとします。(この移動は、物理的移動ならその変数は距離として数値化は可能ですが、文化や歴史、あるいは考え方の移動では、数値化は困難です。)
同じように、「知性」にともなう「量/程度」を私たちの日常の知識獲得の手法と関連付けて、「体験性」から「理論性」へと変化するものとします。(この移動については、さらに数値化は不可能です。)
最後に、「局所性」にともなう「量/程度」を、これまでに本サイトの議論で修得してきた新たな量子論の考えに関連させ、それを「局所性」から「非局所性」へと変化するものとします。(この移動は、本理論の中核をなすもので、単なる移動を超えて「量子論的飛躍」とでも呼べるものです。)
こうして組み上がった3次元構造をもつ「場」が、上に命名した 《「理論化」3次元モデル》 です。そして、こ呼び名の中で、「理論化」と引用符付きで表示されるのは、本サイト『フィラース Philearth』がその根幹目的として取り組んできている《理論人間生命学》でいう「理論」に相当するものということです。加えて、この「理論化」は、上の各括弧内に付記したように、「物性、知性、局所性」の3要素が数的3次元変数を基礎にしたより複雑な 「量/程度」 をも変数とみなすとの「理論化」をも意味しているからです。
3っつの「変数」
そこで、こうした「物性、知性、局所性」の3っつの「変数」なのですが、それにはもう少し説明が必要でしょう。
まず、「物性」の変数である「定住性」と「移動性」ですが、私たちの体験や視野を広げてきた旅や移動は、それを 「量/程度」 として見ると、その原初は一本の線的な動きからなるものと認識できます。そこで、その片方をその動きのない「定住性」、そしてその反対側をその動きがある「移動性」とするものです。そして、A点からB点への移動なら線的移動、どこかへの旅行としての移動なら面的移動といった認識です。
これらの 「量/程度」 は、私たちの日常においては、ふつう、生活の仕方の違いとして表されて実行されます。つまり、一方では、自宅を構えてそこに定住し、他方では、住む場所にはこだわらず、つねに旅を続けるという「移動性」です。「モナド性」などと言い換えてもよいものです。そして、それらの間には、この2端の両方をまたにかける多様な混合があり、また、それの混合の重きの置き方の違いによる様々なスタイル―― “バッパ”旅行、放浪旅行、休暇旅行、リタイア旅行等々――も生じます。
ちなみに、目下のコロナ危機下で広がる対処法のひとつに、いわゆる「リモート化」があります。その典型は「自宅勤務」という感染予防のための通勤回避ですが、視点を換えれば、定住性と移動性のIT技術を用いた組み合わせです。あるいは,そのもっと進んだバージョンが「田舎転居」で、仕事のための都会環境と生活のための自然環境という二種の環境上の価値観を、定期的に往復するなり、長距離リモートワークするなり、IT技術によってその両取りをする方法です。
つぎに、「知性」の変数の「体験性」と「理論性」です。私たちが知識を身につけてゆくその過程には、一方で、日々の実体験によるものがあり、他方には、教育を典型とした既存の知識体系を理論として修得する方法があります。これらはまた、認識の種別としての帰納法と演繹法とも対応――帰納法とは個々の体験から一般法則に達する方法であり、演繹法とは一般理論を個々事例に適用する方法――しています。ここでも、その中間に、両者を合体させた一種の直観と見なせる認識法もあります。また両者を集合した知識である様々な実務法やノウハウは、最近ではそれが目的別にビジネス化しており、たとえば、生き方のスタイルを教える 「コーチング」とか、多種の専門コンサルタントなどが広まっています。さらには、典型的な専門職である、弁護士、会計士、医師、技師、教師といったものは、国の制度に対応した各々の部門についてのこの変数の広範な修得により、その各実務適用を専門業化したものと言えましょう。
最後に「局所性」という「量/程度」です。これは上の二者ほど身近でも理解しやすくもありません。その変数である、片やの「局所性」から他方の「非局所性」ですが、既述のように、それらはもともと、量子論で使われている数学的あるいは理論物理学的な、しかもその最先端の概念に由来します。それを本サイトの「理論人間生命学」では、そうした超特殊専門域を(それこそ「牽強付会」に)越えさせ、私たちの思考法における新方法――パラダイムの転換――へと噛み砕いてきているものです。すなわち、既存の物的空間概念を 「局所性」 とし、他方、近年の量子理論の進展から立証されてきている既存の物的空間概念を越える空間概念つまり「場」を「非局所性」とするものです(ここに「空間」と「場」を分ける理由がある)。
もちろん、この「局所性」と「非局所性」という変数は、その数値化はおろか、それを連続した変数とみなすことすら、従来の科学的常識としては異端なものでした。しかし、そうした旧来科学の常識の中で、これまでは「神秘主義」として排除されてきた現象が実験的に成立することが証明され、その旧来科学とその新事実との整合性を図るために考案されたのが「非局所性」という概念――いわば仮の入れ物――でした。つまり、この整合性の可否判断とは、その行為を裏返せば、結局は人間自身の側の認識上の整合性の可否とも言えるわけです。そこで、「非局所性」の認知を、科学上の概念だけで終わらず人間の認識上のものとしても認めてしまえば、この取っ付きにくい概念も私たちの常識と定着してゆくはずのものです。
こうして、「局所性」を旧来科学由来のもの、「非局所性」を新科学由来のものとしてそれぞれ受け入れてしまえば、これら両者はなんとかつながった連続した概念となります。さらには、そうした連続する新変数とは、一種の思考の狭隘性から脱皮して行く人間の思考上の発展変化をすら意味するものです。しかもその広がりゆく変化は、点から面そして量といった数的分量にとどまらず、質的変化をも意味しており、その 「量/程度」の違いは、人間としての「うつわ」の決定的な違いをもたらすものです。
旧地球とバーチャル地球
以上のような 「物性、知性、局所性」3種の「変数」を3軸の尺度として、上記《「理論」3次元モデル》は、その極小で旧来の3次元「空間」と極大で最新の3次元「場」を表現しています。
上図中では、その片方を3次元空間を緑色の立方体として、 他方の3次元場を赤色の立方体として表示してあります。
そして人類の長い歴史においても、私たちが人類としての発生の母体である地球の捉え方が、この緑色立方体の「うつわ」から、赤色立方体の「うつわ」へと変化してきています。つまり、私たちが地球を捕らえてきた考え方の規模や質も、そのように変化してきているわけです。
そこで、前回提示された「バーチャル地球」との考え方は、この 赤色立方体がもたらす地球像で、 緑色立方体 のそれは旧来の地球像といえます。したがって、それが「バーチャル」との名を持っているからと言って、「仮想」の地球ということではありません。それどころか、その「バーチャル地球」こそが、人類のこれからの生存環境を提供する現実の地球です。
最後に、こうした 「バーチャル地球」の考えは、最新のものとはいえ、それがこの自然界あるいは宇宙の摂理のすべてを含んだ地球ではありえません。つまり、この地球には、私たちがまだ認識できていない、未知の要素はまだまだあるでしょう。そういう意味で、上図には、この 《「理論」3次元モデル》 をおおう円で表す球体でもって、そういう未知地球を表示してあります。