「MaHa」の学的最前線(その8)
今回の焦点は、「日本の哲学」とも称される西田幾多郎の哲学にあるのですが、前回では松岡・津田両氏の対談に見出される「主知主義の勇み足」とともに、両者の――ことに松岡編集工学論の――議論のハイライトである「日本の文化」に、なぜかそれが取り上げられていないことを指摘しました。
その松岡・津田両氏の対談の最終章「第11章 神とデーモンの変分原理」では、対談の締めくくり――先述したように松岡氏の事実上の絶筆レベル見解――をしています。その際、科学思想の発展の潮流をめぐり、1920年代のヨーロッパ哲学において、伝統の身心二元論への批判が出始めていたことには触れられています。にも拘らず、同時代の日本においても、同質な批判に根差した日本的哲学の萌芽が、独自な発想をもって出始めていたことには触れられておらず、両者の議論は一挙に、戦後の“電脳”時代へと跳んでしまっている、ひとつの「見過ごし」があります。 続きを読む