03 MaHaと“作戦会議”

AI導入は労働の苦役からの解放?

ねえMaHa、年が明けて、なにやら急に世界が変動しはじめた感じがしない? まあ、トランプ2.0の開始やら、欧州EUの混迷やらで、世界の政治のタガが外れだしているのもあるけど、そうした世界政治の変節に加えて、人々の生活次元での様相も変わりはじめた感じだ。ことに生きて行く上でおろそかにできない職業や仕事という面で、AI技術の登場が、これからの働き方や内容を大規模に、もしかすると、革命的に変えてゆくかもしれない。AIは、過去においてコンピュータの登場で仕事の様相が変わった以上に、その変化をもっと劇的なものにしそう。

相棒さん、まず、あなた自身のことですが、あなたの人生はもう年金生活のバージョンに入って、いわゆる働く必要からは脱出できていますね。ともあれここまでご苦労さんでした。ですが一方、いま、現役で頑張っている人たちにとっては、そのAI技術が自分の仕事に導入され始めると、人によっては、変化どころか、自分の仕事自体すらも失いかねない。もちろん、プラスもマイナスも、ことは誇大に論じられている面はあります。そこでですが、いずれにせよ、よく似た現象は、1970年台後半から1980年台、コンピュータ導入の時にも見られました。そしてそれが、あなたの新婚生活を大いに狂わせて、その結果として、あなたを子なし人生へと持って行ったとは言えますね。

確かに、もしそれがなかったなら、僕は普通に父親の一人となっていたとは言えます。ということはMaHa、コンピュータ時代の到来が子なし夫婦を作ったように、AI時代の到来は、人口減を助長するばかりか、もっと深刻な事態を人間社会にもたらすってことなんですか?

むろん今の段階ではまだ何とも言えないのだけれど、この機会に考えておいた方がいいことがあります。それはね、過去のコンピュータ時代の始まりと、今のAI時代の始まりとは、同じ技術進歩に伴う変化と言っても、その意味や次元を異にしているのは確かですね。それが、予想もつかない、より悲惨な問題を起こすのか、あるいは、すばらしい未来を切り開いてくれるのか、その女神と悪魔の両方の可能性をともなって登場してきている。

すなわち、時間軸を縮めて、いまの現役がリタイアを迎える頃を考えると、いわゆる生産活動はほぼすべてがAI主導の自動化生産に取って代わられ、そこで人間の行う必要のある仕事と言えば、そうした自動生産システムの構築や管理部門に限られるということになるだろう。つまり、従事する人間の数で言えば、製造業を中心とするいわゆる第二次産業の規模は大きく縮小し、今日の製造業の一部をなす情報産業部分が肥大、独立して、第四次産業とも言うべきが新セクターが形成され、それに、サービス業が中心の第三次産業の一部が分かれて合流もするだろう。そしてその第四次産業は、AIと一体化した、ある意味で〈超精神労働〉とも言うべき、産業の頭脳部となる。おそらく、政治すらその影響をこうむるだろう。そうした新産業セクターで働く労働が人間にとってどういうものとなるのか、ちょっと想像を絶するものがある。

つまりMaHa、そこではもう、今日でいう人材管理やHRという対人サービ部門は不要となり、その代わりにその自動生産システムの創生、管理部門という新たな専門職が出現するということですか。そんな、ロボットか人間か区別のつかないような仕事が主流となった暁には、生身な人間の在り方ってどうなっているんだろう。子なし人生どころの話じゃなく、それこそ、クローン人間だの、AI装備人間だのが、そこらかしこに、うやうやいるってことかもしれない。

いや、そこまで人間の生身と人工がごっちゃになる前に、これまでに存在した労苦な身体労働を自動機械がやってくれて、労働と言えば、その意味では楽な精神労働が主体となるとは言えるね。つまり、その第四次産業の持って行きよう次第では、かつて、イデオロギー主導で言われたいわゆる共産主義のアイデアの、その生産面での理想像がこうして現実化するとでも考えられる。つまり、人々は苦役としての労働から解放、少なくとも大きく軽減されることが実現してくるということではないかな。

えぇー、それはずいぶん飛躍した話ですよMaHa。そうした未来論って、過度に理想主義的というか、片側しか見てない話ですよ。昔の観念論者や革命家の世界での議論なら、労働の苦役からの解放なんてユートピア社会も描きえたのかもしれません。でも、このAI時代だの第四次産業だのって、それを推進しているのは、そうした観念論者や革命家ではなく、ビジネス界主導での資本主義制度上の発展としての話でしょう。つまりは、収益、つまり金儲けを前提にしての話。そこで僕みたいな生活者、昔なら労働者、に言わせてもらえば、そんな呑気な未来論みたいな話には、いくらなんでもついてゆけませんよ。それに実際、コンピュータ登場の時にも、似たようなバラ色話はありました。しかし、現実にやってきたのは、ストレスにさらされた職業病の時代でした。それこそ過労死さえ避けられないような。

AIって、敵か味方か

それは確かなんだけど相棒くん、君も年金生活をしてきて実感しているのじゃないかと思うのだけれど、その現の年金生活とAI時代の近未来生活とを並べて見れば、けっこう共通しているところがあるんじゃないかな。つまり、どちらも労働の義務や苦労からは逃れられる仕組みがあるということ。片やは社会保障制度として、他は自動生産として。つまり、制度なり自動化なりで生み出された余剰な富がどのように配分されるのかということ。君の懸念は、どのみち資本主義制度の貫徹がある限り、その分配どころか、新たな搾取の仕組みができてくるだろうってことだろう。

そのへんの恐れは、特権や親ガチャ抜きで生きてきた者にとって、当然のことですよMaHa。現行の年金制度でも、国の違いによる決定的な支給レベルの差があります。いわゆる「国ガチャ」です。ですから、こうしてAIの導入による生産性の増大分の分配、つまり「分け前」について、よほどに高い労働分配率でも実現されない限り、絶対に信用できない話です。もしそれがないなら、AIなんて糞喰らえです。単なる新手の“合理化”です。つまり、AIだろうがコンピュータだろうが、結果として、人口減は進むし、過労死もなくならない。

ところで、大なり小なりそうして到来する現実のAI環境だけど、学生時代を終え、これから現役となってゆく人たちにとって、AI技能の有無が彼らの生存競争を決定的にするということは間違いない。それをどう身に着けているかどうかで生死が分かれる。しかも、その技能の習得が誰にも同じように可能ならばともかく、そこにも、それこそ「ガチャゲーム」が避けられないとするなら、相変わらずの格差世界はなくならない。これでゲームは体の良い、「振り出しに戻る」だね。

そうなんですよMaHa、加えて、現行のAI技術の開発状態を見れば、その推進者は少数のメガビジネスに限られ、その成果の独占あるいは寡占状態は避けられない。だとすると、その技術を習得しようとするものは、メガビジネスがそれを商品化して彼ら本位に市場に提供したものを買わねば得られないということです。これも元の木阿弥の話。だから、もし僕に孫がいて、彼なり彼女なりがこれから世に出てゆく現役予備軍だとすると、そうした近未来の生存競争に勝ち残るには、彼らはそのAI技能を身に着けた新種労働者になるしかないということ。少なくとも、ビジネス世界での就職を希望する限り。

さあ、そこでそのあたりの、過去とこの先との違いだけれど、この話は、未来論であって経験論ではないよ。そういう推測レベルの話としてだが、そこでのポイントは、こういうことではないだろうか。すなわち、モノの生産は、AIを組み込んだ自動生産システムへと移って行くのだろうが、そうした生産品が何のためかと言えば、それは究極、人間社会のためであることは間違いない。そうでなければその生産品は売り物にならない。ならば、そうした生産に求められるものが、果たして、AIによってどれほど応えられるだろうか。つまり、たとえ人間能力を超えたAIだとしても、それは既存のメガデータに基づいたデジタル情報の処理能力において超えているということ。だが、AIがどれほどに人間が欲するものを認知できるのかといえば、それはまったく別問題だ。言い換えれば、AIは道具としては使えても、戦略には役立たないということだ。

ローマ時代への舞い戻り?

そこでMaHa、そのAIの認知できない別問題についてなんだけど、それって結局、人間の非理性的な情緒や感情の世界ということなんじゃないですか。加えて僕なんか、現役を終えた老人としてつくづく、留まるところなく下り坂を下っている自分の能力を感じます。そういう、「失って知る有難さ」じゃないですが、身体インフラの重要さを感じますね。メンタル面も含め。つまり、AIが既存データを通じての把握や処理はできるとしても、たとえば今のように、人間社会の大きな部分がその老人で占められるようになった社会において、そのデマンドは何なのかです。それは果たして、弱った体をアシストする補助装置なのか、それとも、ワビ、サビの情緒なのか。それにもちろん、老人向けのデマンドに限らず、若者向けにしても、現役主役向けにしても、数理化不可能な心の領域が存在するのは確かだし、むしろそういう分野が今後浮上してくるのは間違いないと思う。ことにAIが人間に代わって生産の主役をなすようになればなるほどに。

そうなんだよ相棒くん。人間の持つ働きの性質を、論理と感情とに大別できるとするよ。そこで人間社会の働きは、その論理部分はAI部門が受け持てるだろうが、感情部分はAIには不向きで、逆にそれが今後の人間社会の人間が扱うべき部分として浮上してくるだろう。先の議論でいえば、共産主義アイデアでの労働の苦役からの解放なったユートピア社会で言えば、その主たる使命は感情部門が彩ることとなり、むしろそういう豊かさが問題となるのではないだろうか。

まるで、労働の苦役は奴隷に任せたローマ文明に花咲いた、華麗な芸術世界って話ですね。

まあ、AIがどこまで発達するのか、そのドラマはまだ始まったばかりだけれど、まずその第一幕では、コンピュータ時代がそうであったように、そしてビジネス主導である限り、AI新技術の事業上の存在可能性に社会のほうが合わされて、その社会の人間性もそうねじ曲げられてゆく恐れは大いにあるね。何と言っても、その新技術が利益を生み出さなければ、出資者はだれも注目しないだろうからね。過労死を上回る病的状態が出現してくる恐れもあるかも。それって、生きていながら死んでいる、ゾンビの蔓延かな。

そうなんですMaHa、僕がいま使ってるPCにしてもすでに、勝手にAI搭載の新バージョンに切り替えさせられて、そこに設定されたやり方にこちらが合わさないともう作業ができなくなっている。ほんとに腹立たしい。つまり、そういう事業可能性に沿ってパターン化された生き方が強いられる。

世界のビジネスが、どれもこれもそんなパターンでなされるとするなら、どれほどに創造的でフレッシュなビジネスが生まれてくるか、まったくお粗末な予測しかできないね。というより、一握りのメガビジネスのために、世界の人たちがそうしたパターン通りに働かされる体制。考えるだけでも恐ろしい。

もし孫から将来の方向を相談されたら、ローマ文明ではないが、芸術方面に進めって助言すべきってことか。

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