3.05 二重の「二重性」
MaHa 前回の「人類〈心〉理改造論」を受けて、話をその先に進めるよ。
そうした、狂気沙汰の道をすすむ人類に「人類〈心〉理改造論」が必要との話のなかで、まずはじめに確認しておきたいことがある。それは、二重の「二重性」があるということ。そして、その二つの「二重性」とは何だ、ということ。
それらの個々の要素はまた、これまでの議論の中のポイントとなっていたことでもあるね。すなわち、 続きを読む
MaHa 前回の「人類〈心〉理改造論」を受けて、話をその先に進めるよ。
そうした、狂気沙汰の道をすすむ人類に「人類〈心〉理改造論」が必要との話のなかで、まずはじめに確認しておきたいことがある。それは、二重の「二重性」があるということ。そして、その二つの「二重性」とは何だ、ということ。
それらの個々の要素はまた、これまでの議論の中のポイントとなっていたことでもあるね。すなわち、 続きを読む
MaHa 前回までに、命をめぐっての有限と無限の二重性、そして、その無限性を忘れた現実論が向かう人類滅亡のシナリオという議論が展開されてきた。そこで、聞きようによっては空論のような話から始めるんだが、いま私たちは、そんな現実論に距離を置いた鳥瞰的な視野を失い、あまりに地上の虫の視野に捕らわれている迷路にはまり込んでいる。「木を見て森を見ず」のジャングル中の視界欠乏とも言える。そうした空中視点からの、「〈心〉理学」の話だ。 続きを読む
MaHa 君もその談義に入っていたはずだけど、兄弟サイト『両生歩き』の居酒屋談義36話「人生3周目は傘寿から」で、実に重要な話が交わされてるね。
相棒 あれは面白かったのですが、その重要な話って、そのうちのどの話ですか。
MaHa 人はその人生の大詰めにきて、「健活」と「終活」の背中合わせの綱渡りに際し、どう「死角」に迷い込まないことができるかというくだり。そのいわば「迷宮の虜」になるのを避ける第三のやり方についてで、そこで言われていた、人間の存在って、もともと二重構造だって話。 続きを読む
MaHa さあ、それでは、君の「〈心〉理学」を語ってゆくとしよう。
そこで、まず最初に、この「〈心〉理学」の「学」とは、いわゆる学問ではなくむしろ反語的な命名で、その眼目は、人間、どう生きていったらいいのかという、「プラクティス」ってことだったね。
それって、人生にまさに大事なことで、「学」や権威に踊らされられないための、「画竜点睛」だよ。
相棒 「画竜点睛」って、それを欠いては絵の竜が生きないという、その「画竜点睛」ですか? 続きを読む
MaHa 参院選が終わったね。メディアはその結果を、「右派ポピュリズム」化と特徴付けている。いよいよ、日本も世界の潮流に乗ったようだね。つまりこの結果は、これまでのオールドリベラルとオールド左翼のなす両勢力への拒絶の現れとの分析だ。そこでだが、そうした形骸化した既存政治勢力への「NO」の声が実りだしたとの面では歓迎できるのだけど、「右傾」や「自国ファースト」、つまり排他主義をバネとした動きであることには危なさがある。これで行くと、各派が内にこもって自国、自テリトリーのエゴばかりが前面に出て、不必要な対立どころか、取返しのつかない紛争の事態も生じかねない。そして、そこに割って入ってくるのが愚かに勇ましい武装思想で、その影響が広がれば、軍事産業までが気を吐き、実際の武器使用論すら始まることになる。それの行き着く先は、終極的にはオール核武装ワールドであり、核抑止力論に立った人類の壊滅と背中合わせの狂態シナリオだ。 続きを読む
MaHa 「〈心〉理学」には「学」という文字が使われているけど、厳密には学問ではないよね。むしろ、一定の学的知見を活用した、生きる上でのプラクティス、いわばノウハウ。
相棒 そこでですが、この『フィラース』と兄弟サイトの『両生歩き』は、それぞれの役割を担い合っていることはすでに述べました。つまり、前者を〈メタ旅〉の、そして後者を〈リアル旅〉の、それぞれのナビゲーション役を果たしてきていることです。 続きを読む
続きを読むまえおき
兄弟サイトの『両生歩き』の直近号では、先に実行した中央アジア旅行で実体験した「不思議な遭遇」について述べて(居酒屋談35号、独想記32号参照)きました。また来たる7月22日号では、その「不思議」について、その発生の仕組みの解明にこころみます。一方、本サイトでの前回では〈「行動先行遭遇」説〉と題して、何はともあれ先行する実行動が、そうした「遭遇」の前提であると論じました。つまりこれら二つのサイトにわたる議論とは、「旅」という先行行動をめぐって、「不思議な遭遇」の体験というリアル面と「行動先行遭遇説」の提唱というメタ面を、それぞれ分担して述べてきたこととなります。そこに、この〈「行動先行遭遇」説〉を土台にこの22日号の議論を加えることで、その不思議発生の仕組みへの、両面よりの合わせた視界が提示されるにいたりました。そこで、本記事の発表は22日を待たない先走りとはなるのですが、こうしたリアルとメタの関係をあらかじめ提示する意味もふくめて、ここに先行発表するものです。
相棒 前回までに、日本での山行という実体験が「ワームホール」となった、一見SF風な、人間量子存在へと発展する話がありました。それは、学術論的には大いに飛躍があるんだけど、人間論として、ことに生活者の立場に立つ、待ったなしのリスクを負っているナマの話でした。そして、量子理論に見出されることが、なんだかそうした学術論界隈のやたらややこしい話を吹っ飛ばして、一気に人間側、少なくとも、生きている命の側へと導いてきてしまうようなところでした。そこで、まさにその学術論に生命を与えるかの量子理論の心髄に注目したいんです。つまり、それこそが、テーマである「〈心〉理学」としての核心であるはずなんです。 続きを読む
MaHa 私の〈観測〉1 を述べたいのだが、かまわないかな。それはね、今度の君のエッセー「〈続〉 残雪の山歩きで見えてきたもの」で扱われたテーマなんだが、それは、アニメ手法と山行手法という二つのワープを通じて到達した、宮崎の言う「あらゆる夢は呪われた夢」との人間事実、つまり、そういう〈収縮〉2 だったと言っていいよね。そして、そういう〈収縮〉が、今や世界の若い世代に、それを量子的現象と認識しているかどうかはともかく、共有されつつあるという状況。 続きを読む
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