第4章 準備的アプローチ

約一か月の中断を経て、再び、この「生命情報」の議論に戻ってきました。

私は過去一か月間、日本を再訪していたのですが、その日本滞在中、この「生命情報」とまでは言えない、いわば従来的日常体験をしながら、それでいて何かこれまでとは違った、一種〈中間的〉な体験を重ねていました。

そこでこの「〈中間的〉な体験」とは何かですが、それを図示すると以下のようになります。

つまり、私はそこで、既述の「人生体験」と「非科学な科学」との間にあって、ひとつの過渡的な体験をしていたと言えます。言い換えれば、人並みな「人生体験」をしつつ、そこから抜け出た、それでいて「非科学な科学」とまではちょっとしにくい、両者の中間にある体験です。いうなれば、「人生体験」以上、「非科学な科学」以下なものです。 続きを読む

第5章 私たちの「科学」へ

準備からの一歩

前章では、目標とする「非科学な科学」に向けて、その準備である「中間的体験」を論じました。そこでその準備の上に立って、本章では、ひとつの創造的直観を手掛かりとして、いま一歩、その目標に近づく方途を探ってゆきます。

そしてこの「創造的直観」ですが、それが何かを言うのは容易でありません。いきなりパッとやってきて、そこがスタートでもありながらゴールでもあるような、突如として発火する何ものかです。ここではむしろ、それを説明するためにこそ、本章の議論を進める必要があります。 続きを読む

第6章 結局、「科学」って、何?

二本の柱

本2023年のその年末に向かって、建ち上がってきている二本の柱があります。

その第一は、12月初めより始めた、兄弟サイト『両生歩き』の「リタイアメント・オーストラリア」への、《「人生二周目」独想記》の掲載があります。そしてその12月22日号に「山頂なき登山」とのタイトルの次記事を載せます。そこに述べられる要点は、「ガン付きの健康」を持ってする自人生の究極のターゲットは何か、との問いです。 続きを読む

第7章 「究極のゴール」との《収れん》

まずはじめに、読者の皆様には、行ったり来たりのお手間をとらせることとなり、まことに申し訳ないのですが、その往復は、この〈非科学-科学〉の構想の創発的バックグラウンドをなす、《双対的》枠組みとその発展である《収れん》の一つの具体的在り方であることを、それをもって例示する意味を持っています。そしてそう往復することによる一種の距離感や移動感こそ、〈非科学-科学〉の構想の量質感の具体的な手ごたえとなるはずです。 続きを読む

最終章 私式「双対性」の在り方

これまでの7章にわたって、先の「理論人間生命学」の中核概念――「生命情報」――を多角的に描写してきました。そしてここに最終章を迎え、そのように積み重ねられてきた考察を集約し、新たな進展へと展望する、以下に述べる二つの役割と位置付けを確認して、そのまとめとします。

そこでこの「二つの役割と位置付け」ですが、それは、第7章の〈「究極のゴール」との《収れん》〉というタイトルに示唆されています。つまり、その第一は、その「究極のゴール」が、私の具体的人生への「役割と位置付け」――言うなれば「道標」――として、そうであるだろうということです。 続きを読む