極得プラットフォーム

なんだか「テレワーク」って、コロナの感染広がりをいいことに、へずった通勤時間も勤務時間って感じ。それに、仕事減で給料削られ、テレ機器類も自己負担なら、マジでブラック化。おまけに、会社側は、オフィスさえも減らせるっていうんでしょ。

中には、田舎に家を見つけてごそっと引っ越して、完全テレ仕事に切り替えた人もいる。仕事と田舎暮らしが両立したって、けっこう満足してるみたい。 続きを読む

あるエイリアンからの投稿

乗り合わせたUFOが地球近くを通りかかった際、傍受した地球の諸通信から偶然、貴サイトの「セルフ生殖社会」というタイトルを見つけた。

私は地球人ではなく、まして、地球人の生殖方法であるという男女による両性生殖というものを知らない。私の星の人間の生殖は、単身で行う「セルフ生殖」だが、地球からそんな同名のタイトルが発信されているのをキャッチし、驚くと同時に大いに興味を掻き立てられて、この投稿を書いている。 続きを読む

新部門《セルフ生殖社会》を設置

本サイトではすでに、「バーチャル地球」とか「バーチャル人間」とかという視野を用いて、自分を、物的な生存条件に100パーセントコミットする自己像からの分別をこころみてきています。つまり、その物的土台の充足は不可欠としても、それに終わらず、その基礎の上にどのような選択自己像を描くのかというテーマの追求です。

人間にとっての有性生殖は、もはや縦横に語りかつ体験し尽くされたとも言え、さらには、その目先の豊満に引きずられ、肥大化した迷路で自閉しているとの表現も可能でしょう。そしてゆえに、その物語を早々と卒業し、他の人生に別次元での生殖を志す人たちも少なくないはずです。 続きを読む

直観という“思考の加速度”

前回で提示した「『理論化』3次元モデル」について、そのモデル化に際して使われている、ひとつの特徴的な見方があります。それは、私たちが普段から何気なく使っている「直観」という、私たちの脳が持っている働きについての見方です。

それを説明するには、科学史上のひとつの有名な逸話を借りる必要があります。

その逸話とは、「ニュートンは、木からリンゴが落ちるのを見て重力を発見した」と言われるものです。 続きを読む

「理論化」3次元モデル

新次元の「立体」

本サイトではこれまで、そのメニュー内の「理論人間生命学」および「四分の三プロジェクト」の両タイトル下で述べてきた議論を土台に、その理論体系の「ひながた」が提示できそうな段階に至りました。

そこでそれを、これまでの描写手法である3軸座標を使い、かつ発展させて表したものが下図です。

「理論化」3次元モデル

私たちの日常生活にも親しい3軸座標といえば、縦、横、高さ、あるいは数学では 続きを読む

《「バーチャル地球」人》に生まれ代る

はじめに、「バーチャル」という「仮想」との意味において使われるインターネット用語についてです(蛇足気味ですが)。この用語は、 たとえば、「バーチャル商店街」 との語があるとすると、それは、現実に存在する「商店街」ではなく、ネット空間上に仮想商店街として存在するものをそう呼びます。ですから、実際の土地や建物を用意する必要はないために、通常、すばやく安価にそれを設置できます。 続きを読む

「局地性/非局地性」と「シスジェンダー/トランスジェンダー」

2021年6月12日付記事のように、量子理論のその特徴を、「エロチック」と呼んでも、あるいは、より広く「ロマンチック」と呼んでもいいのですが、そういう一対の要素同士の「共振」や「共鳴」が前提となっている領域や空間を、「非局地性(注)」という量子用語をもって、あらためて考えてみたいと思います。というのは、この語が、世界を根本的に見直す武器となる可能性を秘めているからです。 続きを読む

究極の「Missing Link 失われた環」

本サイトの兄弟サイトである「両生歩き」の最新号(7月7日付)で、「自分って何人」と題したシリーズ記事が完結します。その最終回に述べてありますが、人間がその歴史の中で――ことに合理性の追求という観点をもって――考察してきたことで、フルには手を付けてきていない、あるいはあえて排除さえしてきた分野があります。そのMissing Linkとも言えるものが、カテゴリー上では「神秘主義」と呼ばれる、科学と宗教、あるいは、物質と情報/情念の間に存在する境界領域です。またそれは、残されているという意味では、一種のパイオニア領域です。 続きを読む

量子論は“エロチック”

以下に書くことを、量子理論のいう「雲状の存在」の詳細描写とするなら、それは「多大な誤解」ではないかとの「科学的」批判を受けることになるだろうことは承知しています。しかし、本理論人間生命学における「理論」とは、その「科学」がまだ排除している一種の仮説や推測をも領域内に取り込み、かつ、私たちの生命の現実感にそった実用性――科学的立証を待っていられないのっぴきならぬ生命の問題――をも重視するものです。ある意味では、「科学」の未来を先取りするものとも言えましょう。 続きを読む

「もしグレタが僕の孫だったら」

今朝、まだ日の出前の薄暗がりの中、目覚めたばかりでまだ眠りと覚醒にまたがっている意識が、いきなり、表記のタイトルのような設問をとなえ出しました(「グレタ」とはスウェーデンの18歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリのこと)。それはたぶん、昨夜寝る前に、日本のグレタたちを報じる新聞記事を読んでいたための余波でしょう。つまり、グレタの言う、(地球温暖化問題に)「なにもしようとしない大人たちを許しません」とのきついメッセージを、もし自分の孫から言われたら、自分なら何と答えるだろうか、との設問です。 続きを読む