「情報の終焉」

日本経済新聞の「テクノ新生」との連載の7月7日付けで、「生成AI開発、誤報防止にも投資を 米専門家」と題された記事(電子版)があります。そこに、インターネット上の偽情報を作り出す技術が高度化し、情報自体を信じられなくなる世界が近づく「情報の終焉(インフォカリプス)」との予想が紹介されています。そしてこの記事は、「真偽を判別するコストの増大が社会制度を毀損させる 続きを読む

「からだへの共感」

私は、兄弟サイト「両生歩き」のサブサイト「私共和国」で、自分の健康への取り組みを子細に述べてきています(ちなみに、その健康関連の記事がこのところの人気訪問先――この分析記事を参照――となっています)。そして、こうして〈二本立てのサイト構成〉をもって表現してきた私の“後期高齢者”人生のコンテンツは、その二本柱の融合状態へと発展し、いまや予期もしなかった果実――この「生命情報」はそのひとつ――を結びつつあります。そうした健康への取り組みにあたっての私の姿勢の核心を述べれば、「からだへの共感」ということになります。 続きを読む

生命“偽”情報

ずばり述べますと、生命“偽”情報とは、お金、つまりマネーのことです。

前回、《生命情報》とは世界観であると述べました。

その世界観に強力な体系を持ち込んだのが、マネーという数量の世界です。

別な角度で言えば、自然界にはマネーはありません。あるのは、人間はそれをエコロジーとよぶ、きわめて複雑、微妙な大自然のバランスです。

つまり、自然界にはエコロジーはあるがマネーはありません。他方、人間界には、マネーはあるがエコロジーはありません。 続きを読む

《生命情報》は世界観

《生命情報》って哲学的

科学が扱え切れていない部分は、昔から、「哲学」つまり「フィロソフィー(愛智学)」の土俵です。そしてむしろ、そのように広い分野を扱う哲学から、科学が発達し、やがて独立してきました。

したがって、そういう科学というのは厳密性の権化で、平たく言えば「仲間意識や縄張り根性がやたらに強い」。難しく言えば「包摂と排除」に長けています。またそれだけに、頼りになる存在です。 続きを読む

《生命情報》という分野

「新領域」への到達

前回までに、「リアル旅」なり「メタ旅」なり、「旅」という移動世界を踏破し終えたことで、ひとつの節目を迎えると同時に、ある種の「新領域」に到達したかの感触があります。

それは、これまで、「汎情報」とか「《情報》」とか表現して、今日のデジタル情報に代わる〈もっと根源的な情報の世界〉、平たく言えば、「思いの交換媒体」の存在を述べてきました。つまりこの大自然には、今日、私たちが認める以上に微妙で深い、そうした情報のやり取りがある、という感触であり、そういう仮説の設定です。 続きを読む